587764 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

わたしのブログ

わたしのブログ

第一章 地獄の戦地から野戦病院へ入院

これは実話である。
昭和19年4月、私は河南作戦に参加した。当時、軍はこれを河南作戦といった。元来、私は丙種不合格者、招集を受けて新兵の二等兵、行くとすぐ痔を患い手術を受け、第一、第二、第三検問を受けず、そのまま作戦に加わり、何も軍隊のことを知らず、北支、新京より夜行軍に次ぐ、夜行軍を続けた。満州第9092部隊第3班と言い、27師団軽重隊で、種々な想い出を回想しながら行軍中より記す。

行き先はどこまで行くのか私は知らない。約二ヶ月位、無我夢中で歩いた。途中、雨に、風に、風に、砂嵐に会い一ヶ月くらい歩き通しで体は非常に弱まって来たようで鳥目になった。夜行軍なので足元が良く見えず。馬の「尻っ尾」に掴って行軍を続けた。
 大休止のある日、私より後から入隊してきた現役の初年兵が自殺した。東京芝公園の近所に住んでいたそうで姓は石黒と言っていたことを思い出した。親は画家だそうで、自分の腹を銃で撃った。弾が貫通して後ろの馬の前脚を打ち抜いた。馬はヒヒヒーンと鳴いて、もう片脚はぶらぶらしていた。
 分隊長はこれを見て怒り、「この野郎は荒縄だ。陛下の活兵器だ助けろ。馬の方が大事だ。」と言い、馬の手当てが先で、人間なんか見向きもしない、石黒はまもなく死んだ。馬は手当てをしたが使用出来ず、安楽死させた。そのときは全員捧げ銃の最敬礼をした。
 荒縄とは、銃殺刑の罪人のことである。
 後で知ったことであるが、石黒はその時、すでに下痢をして悪臭を放ち、皆から爪弾きにされていたそうである。下痢をすれば、もう死である、飯も食べず水も無く、次第に意識が無くなってくるそうだ。
 自分の不注意でもある。隊全体から見れば目にも入らぬ小さな出来事で、日本の軍隊内部の星ひとつの差でこんな悲惨な所を私は見てきた。これは皆、初年兵時代に味わう試練であろうか、古兵たちが、少しでも楽をするため、私的命令を出し新兵をこき使うのである。


© Rakuten Group, Inc.